「ああ、綺麗だな…」
肌に優しい温かい風、穏やかな光。
誰一人存在しない、ひっそりとした山奥に咲く一面の溢れるばかりの桜たち――……
その中でも、眩い光に反射して自らがまるで発光しているかのような、大きく花開く一本の山櫻。
まるでこの山の全てを見透かしたようだ。
深く語りかけるような、この絶対なる存在感が、古き歴史を物語っている。
※※※
風に舞いながら、ゆっくりと落ちてゆく花びら。
天から降り注ぐ光のシャワーと絡みあい、静かに舞い落ちている。
ああ、ここは全てが一面の櫻に覆われた
もうひとつの“世界”。
なんと美しきことか―……
※※※
ある日の午後、高耶から出た何気ない一言。
『直江、桜がみたい…』
『花見ですか？』
『いや、宴会で騒ぎたいんじゃなくて、桜の花がみたいんだ…』
そして、直江が連れてきた場所は、桜の咲く公園でも観光地でもない静かな山奥の地。
桜の観光名所ではないが、ひけをとらない位の見事な桜が咲き乱れていた。
木々の間に流れる小さな滝の音がまた、心地よい――…
「おまえ、よくこんな場所知ってたな…」
「気に入っていただけたようで嬉しいですよ。でも随分遠出をさせてしまいましたね…」
「疲れたでしょう？」
「―――…いや」
「直江、ここは前にも来たことあるのか？」
「ええ…前に一度だけ。まだあなたに出会う前のことです。
二十歳前後の頃でしたか…、怨霊調伏でこの付近に向かった帰り際に、
ふと車内から山桜が見えたんです」
直江は、懐かしそうに、思いをはせるような表情をみせる。
「遠くから見ても綺麗な桜色で立ち寄ってみたところがこの場所でした。
満開の桜に囲まれて、その時覚えた感動は今でもまだ覚えていますよ」
「…なんだか、ちょっと得した気分だよな。
誰も知らないこの桜を知るのはオレ達だけみたいなさ…」
「そうですね」
直江は、くすくすと笑った。
何を思ったのか、高耶は急に桜の花びらで一杯の地面に直に寝転がり、
仰向けになって、手足を大きく伸ばす。
体全身で、光と風と舞い落ちる花びらをすべて受け止めているかのようだ――……。
「高耶さん、急にどうしたんですか？」
「ん―……気持ちいいかなって思ってさ」
「――まったく、あなたは……」
「いいから、おまえも来いよ」
直江は困ったような表情を浮かべながら、高耶の側でゆっくりと腰をおろした。
※※※
「あなたが桜を見たいと言った時…ふと思い浮かんだのがここの桜だったんです。
行方の知らないあなたを探すことに疲れきった躰に、優しく癒すように存在した桜。
まだあなたに出会ってもいないのに、この桜をみせてやりたいと、当時なぜだかそう思えたんですよ」
「――…直江」
“ここは、あのころと同じで何一つ変ってはいないけれど”
（あの時とは何かが違う）
変わったのは、そう…自分自身の心。
そして今は、高耶さん、あなたがそばにいる――……
さらさらと風になびく高耶の前髪を、直江は優しく梳いてやった。
高耶は気持ちよさそうに目を瞑って、髪を梳く直江の手の温もりを感じている。
「静かだな…」
「――ええ」
静寂な山奥の満開の桜の木の下で、二人だけが存在しているかのような錯覚。
聴こえてくるのは、流れる滝の微かな水のせせらぎの音だけ。
「桜の花はどうして散るんだろう…。繋ぎとめることができたらいいのに……」
「高耶さん……」
「ずっと、ずっと、このままで…満開の桜のままで……」
散るからこそ美しい。
散るからこそ 生きている。
分かっているんだ。
桜よ、…さくら……
このまま時を止めることはできないか。
暖かな春の陽射しの中で、桜の花の満開の下、直江と二人だけのこの空間を。
望むことは、儚い夢だろうか――……
高耶は思いを秘めて、隣に腰掛ける直江に振り向き、囁いた。
仰向けになって寝そべったままの状態で、ゆっくりと直江の上半身へと腕を伸ばし、
自分の方へと躰を引き寄せる。
指先が、そのまま直江の首筋を掴んだ。
抱きつくように強く、腕が回される。
「――…高耶さ…」
直江の言葉を打ち消すように、高耶はそっと直江の唇を塞いだ。
優しく癒すような、甘い“口づけ”
直江は高耶の突然の行動に一瞬戸惑いを見せたが、
次第に、今度は薄く開いた高耶の唇に逆に舌を差し入れて、激しく貪るような口内を侵食する。
「…ん…ふッ…」
男は見下ろしながら、ゆっくりと高耶の躰に覆い被さるように距離を近づけていった。
肌の上を這い回る指先、唇。
急かされたように激しさを増す愛撫。
「なお…ッ…ここでするの…かよ…ッ」
「あなたが誘ったんですよ？また、そんな誘うような瞳をして…」
響く低音ボイスが、耳元でそっと囁いた。
「桜が……みてる……」
「――見せてやればいい」
美しいあなたを、淫らなあなたを、全てを曝け出すあなたを、
誰よりも寂しがりやで……愛しい、本当のあなたを――……
「……馬鹿…」
僅かに頬を赤くする高耶を見て、直江は小さく微笑んだ。
※※※
絡み合う四肢。
途切れがちの、かすれた熱い吐息。
何度も何度も確かめるように、お互いを呼び合う……
（この痛みだけが、おまえをどこまでも感じとることができる）
「あッ……んッ――…ッ」
眩暈がする。
この果てしない瞬間に、快楽に、全てに、――…おまえがいる。
内部から感じるその存在に、全身でしがみつく。
揺さぶられて、下から見上げるその視線の先に捕らえたものは、
眩いばかりの輝く“光”――……
注がれる、花びらと春の陽射しの光の中、二人はお互いを確かめ合うようにただ交わる。
（ああ願わくば、いつか訪れる終わりを、どうか―――……）
『おまえと生きる為に』
『あなたと生きる為に』
（この想いが伝わるだろうか）
「私はここにいますよ。ずっとあなたのそばにいる」
「…直江……」
※※※
あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか――……
直江は、高耶の膝の上に頭を寄せて静かに目を閉じていた。
風に揺れる色素の薄いさらりとした前髪を、今度は逆に高耶が梳いてやる。
高耶はクスクスと笑った。
「おまえのこんな姿、他人が見たらどう思うだろうな」
直江は、高耶の膝を枕にして、完全に寝転んでいる状態である。
「あなたがそうしろと言ったじゃないですか…」
「そうだけどさ」
『なあ…なおえ…』
『何ですか？高耶さん』
『今は、眠れ――……』
“この満開の桜と共に……”眠るがいい。
たどりつくのは、まだ先かもしれない…。
そこへいけるかどうかもわからない。
でもオレ達には、進むことしかできない。
もう一度、歩き出すまで、もう一度……
『今は桜と共に眠るがいい――……』
※※※
春の陽射しを受けとめて、桜色に染まる花びらに囲まれながら、あなたは小さく微笑んだ。
これは、ひとときの休息の時間。
“儚い夢”
End
＜コメント＞
花見をする直高を書こうと張り切っていたのに、書き終わるとなぜか切なげに。
雰囲気っぽい小説にしてみたのですが、どうでしょう。
「今は眠れ」という台詞をどうしても今回入れたかったのです。
高耶さんが直江を膝に…という構図、実は好き。癒しのようで…。【2003,4,20／桜】